微生物化学研究会と私(公財)微生物化学研究会について
このホームページの沿革に述べられておりますように本研究会は故梅澤濱夫先生によって1958年創立されました。梅澤先生は1937年東京帝国大学医学部医学科を卒業後、母校の黴菌学教室で研鑽され、1944年に伝染病研究所(伝研、現在の医科学研究所)の助教授に配置換えとなり戦時研究の一環として当時碧素といわれたペニシリンの研究を開始されました。私は先生の着任と同じ日に梅澤先生の研究室に隣接する化学研究部に入り、多くの研究員が戦地に赴いてわずかに残っている研究員の一員でしたので、梅澤先生や細谷省吾先生が伝研集団会で我が国で初めてのペニシリンの開発についての歴史的発表を聞く機会に恵まれました。
その後当時の国立予防衛生研究所(予研、現在の国立感染症研究所)が伝研の建物のなかにできて梅澤先生は予研に移られ多くの抗生物質を発見され最後には本研究会並びに研究所の設立を含む大きな発展を遂げられました。 予研が旧海軍大学跡に移転するまで私は先生の隣りの研究室で赤血球の生化学の研究をしていくつかの発見をしましたがその後本郷の医学部の生化学教授、東京都臨床医学総合研究所長、東京薬科大学長を歴任しておりました。その間に屡々微化研に先生をお訪ねする機会があって大変お世話になりました。1986年先生は思いも掛けずお亡くなりになり、その後は先生の愛弟子であった竹内富雄博士が先生の後継者として微化研の理事長、所長を務められました。
それまで私は微化研とは直接関係をもっていませんでしたが竹内理事長の要請で理事会の末席を占めることになりました。竹内さんとは若いころからの友人で一緒にゴルフをプレーする心を許した仲間でもありました。
20世紀が終わる頃から世界の経済状態が変わってきて梅澤先生のお考えになった微化研の構想では経営が難しくなって竹内さんは大変苦労され私に苦衷を訴えられたこともありました。然し高齢のこともあり遂に勇退を決意された後、今後の微化研の経営方針について数人の理事などにより設けられた委員会において将来計画や次期所長の人選について数年にわたって審議され、これまでの理事、評議員の多くが交替しました。所が思いも掛けず私だけが会長として残ることになり2002年には私が会長、理事長が野々村禎昭東大名誉教授、赤松穰博士が常務理事、兼所長として2010年まで経営及び研究業務の指揮を執りました。その間に発見された超多剤耐性結核菌に有効な抗生物質CPZEN-45は今後特筆すべき物となるでしょう。然し世界及び日本の経済状態は益々悪化の道を辿り、更に国民の健康を脅かす感染症の流行があり微化研としても手を拱いているわけではありませんが抜本的な方策が必要と感じており、考慮の末経営陣は総退陣して新しい方針で微化研は出直すべきと決断しました。2010年4月より学術上国際的にも著名なウイルス学者の野本明男、有機合成化学者の柴崎正勝両東大名誉教授を起用して今後の微化研が新しい歩みを行って嘗ての梅澤先生の時代のような活気に溢れた研究所として世界に羽ばたいて欲しいと思っておりますのが会長としての最後の願いです。
五代目会長
山川民夫